親の愛情にも色々ある。

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フェイスブックで知り合いが、子を想う愛情深い母の気持ちを記事に書いていて「親って、そういうもの!」と断言していたけれど。

そして、多くの「そうそう」「素晴らしい」などの共感コメントが寄せられていたけれど。

さらに、実は私も同じように子を想う気持ちは同じで共感しているのだけれど(笑)

それでも「親ってそういうもの」という言葉に違和感を覚えました。自分も同じ気持ちなのにも関わらず、居心地の悪さを感じたんですよね。

私は過去に10年以上保育士として働いていました。その中で多くの親子と接し、たくさんの相談に乗ってきました。また、友達の中には様々な家庭の問題を抱えている人もいます。

子どもを愛せないで悩んでいる親(悩んでいるという時点で愛情はある。きっと自分が考えているようには愛せないという意味なのでしょう。)や、中には子どもが汚くて触れないことを悩んでいるお母さんもいました。自分のことで精一杯で子どものことまで考えられない親や、逆に子どものことばかり考えて自分の世界を持てずに過干渉になっている親も。

そして、私が感じたのは、どんな親でも、いや、きっとどんな人間も。
外からは、どんなふうに見えようが、誰もが『その人なりに一生懸命に生きている!』ということでした。

誰もが・・・。
その人の世界で悩んだりもがいたりしながら一生懸命に生きているんですよね。それに、多くの人が共感するようなことが、実は正解でもない。

だから「親ってこう」というカテゴリー分けされた言い回しに違和感を覚えたんです。それに共感する多くのエネルギーにも。。。なんか、それに当てはまらない人たちが存在しづらいような・・・。

例えば、
ちょっとしたことですぐに子を怒鳴って殴ってしまうお母さんは、自分がそうされて育っていて他に方法を知らないだけかもしれません。じゃァ、そういうお母さんには愛情がないのかというと、そういう表面に出ていることだけでは決して測れないんですよね。

愛情いっぱいに育った幸せな人が、その幸せを知らない人を「親なのに」みたいに言うことに胸が痛みます。その幸せな状態だけが正しくて、そうじゃない人を正そうとする風潮に。

耳当たりのいい、共感するようなことに「そうそう!」ってなる風潮に。

こういうことは、親のことだけではなく、人間はもう本当に多種多様な様々な「背景」「価値観」「世界観」を持っているんですよね。大多数の人がそうだから正しいわけでもなく、その一つ一つに理由があり『正・誤』で語るものではないと思うんですよ。あ、私はね(笑)

だから「親ってこうよね」とか「親なのに虐待する人って信じられなーい」とか、そういうことを言う時、自分から見える世界の中だけで、正しさを主張しているように、私は感じてしまう。

「親に感謝しましょう」「親はありがたい」みたいな言葉も同じように違和感を覚えます。

感謝は勝手にあふれるもの。それに、幼い頃から殴られて育った子に「感謝しましょう」なんて、すごく酷な話です。いつか感謝があふれる日が来るかもしれないけれど、その日が来ても来なくても、今、感謝できなければ、しなくていいと私は思うんですよ。私は、一人ひとりの『自分の本当の感情や感覚や気持ちや感性』を大切にしたい。

だから、
『私はこうです!』という発信は、内容が何であれ気持ちがいいのですが。

「親ってこうよね」とか「◯◯ってこうよね」という発言は、たとえ内容が自分に近くても、多くの人が賛同していても、私はなんか居心地が悪いんですよね。

個々みんな、違う感性で生きていて、それが面白いってすご〜く感じる今日この頃です。だから「親ってこう」っていう人がいてもいいのです。ぐるっと回って、結論がこれかーい(笑)

いやいや、
ひっくるめて決めつけるような言い方に対して。

私は居心地悪いし違和感を覚えるけれど、そういう人を否定しているわけではなく、私はそう感じます、というただの感想文なのでした(笑)元も子もなくすみません。でも、こういう瞬間瞬間の「感情」を大切にして日々生きていたいんです〜♪

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