「人から裏切られた」と思う時

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よく「誰かに裏切られた」って言葉を使う人がいますが。この言葉を使う時って、自分への責任を放棄している気が私はするんです。

「誰かに期待した」のは自分自身。自分が期待して信頼したんですよね?だから、裏切られたっていう一方的な被害者意識に違和感を覚えるのです。

「自分が、その人を信じると決めた」という前提から「自分に人を見る目がなかった」「自分が判断を間違えた」「自分には見えていなかった死角があった」などの観点が抜けているような居心地の悪さを感じます。

そんなことを、つらつら考えていた時に、ふと読んだ本に、妙に言い当てている箇所がありました!

主人公である若い警察官が、自分の祖父(『マタギ』という山で昔ながらの方法で狩猟を専業としている)に聞くんです。

「おじい、信じていた人に裏切られたってこと、あるだか?」

すると、おじいは、

「まんずはぁ、裏切られたってのは、自分のことしか考えてねえヤツの使う言葉だなや。そして、物事は一方から見ただけじゃワカンねぇ。多角的に捉えねばな。自然も。人もだ。」

って答えるんです。もうこのセリフにしびれました。まさに、私がいつも感じていたことなんです。

相手には、こちらからは見えない何か事情があるかもしれないし、そもそも、勝手に期待したり信じたりしたのは自分自身。裏切られたって相手のせいにしちゃえば、もしかしたら自分を悪者にしないでは済むかもしれないけれど、本当のことは見えなくなると私は思うの。

それに、相手のせいにしている限り、主体的にはなれないとも思う。自分がどうあるか、自分がどうしたいか?大切のはそこなのに、って私は感じています。

例えば、ある経営者の方が、右腕と思っていた人に裏切られて相当痛手を負っていて。いつまでも「あいつに裏切られた〜」って引きずっているんですけれど。

その人を右腕に選んだ時に、大きな変な欲があって選んでいます。その欲が大きかったから見抜けなかったのに、いつまでもその人にせいにしていたら、真実は見えないんですよね。

選んだのも信じたのも自分、そこに立てた時に、初めて「その時に自分に変な欲はなかったのか?」「信頼に値する人物だったのかを見抜くことはできなかったか?」「依存をしていなかったのか?」などの学びにできるのだと思います。

それに、被害だけではなく、何かしらの利益(学びや体験も含む)も享受していると思うんです。そこに感謝もできるはず。

人のせいにしていたら、いつまでも、何も学べないって思います。すべては自分の学びのために起こっていることばかりですものね〜。

また恋愛相談でもよくあります。仕事でも恋愛でも、どんなステージでも「裏切られた」って言葉を使う時って、私は自分の責任を放棄しているように感じてしまうんですよねぇ。信じると決めたのは自分でしょって。。。

まぁ、裏切られたと思えるような出来事があった直後は、誰でもショックを受けるでしょう。だから、十分に自分を悼んで労う必要はあると思います。

十分に自分を労ったら、自分を振り返って、そこから学んで感謝にできたら、その体験は自分にとって『必然』になります。それを繰り返して視野視点が増えていき成長できるのですよね!私はそう感じています。

だから、マタギのおじいが言う「裏切られたというのは、自分のことしか考えていない人の言葉だ」ってまさにそう思うのでした。

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