悪口を安心して言える関係

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この間、息子が某先生の愚痴をひとしきり言っていました。私は「うんうん」「なるほど〜」と聞いていました。聞きながら「お母さんはこう思うよ」という自分の感じ方も素直に伝えていました。

その素直な感想が、割と息子の価値観と近かったからでしょうか?息子は、さらに悪口が止まりません(笑)15分以上いい続けて・・・。

最後にこう言ったんです。

「でも先生は、すごくいいやつなんだ。だから俺は先生が好きなんだ!」

私は、この息子との対話で2つのことを強く感じたんです。

まず一つは「こういう話ができること自体が、お互いにすごく幸せなことだなぁ」ということです。私が子ども時代は、子どもが先生を悪く言うなんて許されませんでした。嫌だと感じる感情を持っていても、それを表現すると「先生を悪く言ってはいけません」と言われます。

自分の感情に蓋をしたり、自分に嘘をつかなくてはいけませんでした。

本当は相手が誰であろうと「自分はこう感じた」という、その誰かの感情を否定できる人はいないはず。その感情は、その人の感情で、誰のものでもないからです。

だから「こんなことがあって、自分は、その時にこんな風に感じたんだ」という、それが『いい悪いというジャッジ』のない安心の場で、自分をありのままに表現できることはなんて幸せなことだろうと実感したんです。

私が、ずっとそうしたかった、それぞれの感情を大切にする場や対話を、息子とできることに深い幸せを感じました。嬉しい〜♪

次に強く感じたのは、怒ったり悲しかったりする負の感情、マイナス感情は、出し切ってやっと本音が出るのだと思いました。

その人に、気持ちがあるから愚痴や悪口になる。どうでもよければ、気にもならないんです。だから、マイナス感情を全部出し切ったら、奥にある本音「先生が好きだ!」が自然に言葉となって表現されるのだと思いました。

それを「そんな風に思ってはいけません」「先生を悪く言ってはいけません」のように尊重しないから感情がこじれる。複雑になっていく。

あるがまま、感じるままの、自然に自分から沸き起こる感情を、ジャッジせずにそのまま尊重したら、ただ愛が残るのだと、すごーく感じた対話でした。

息子は、あんなに憤慨していたのに、最後は「好きだー」と晴れやかな(ちょっと照れた)表情になっていました。ジャッジしなければ、愛が残るんだから、安心して感情を表現できればいいのに、大人たちは、一体、何を恐れて「これはダメ、あれはダメ」と規制するのじゃろかね?

私は感受性の強い子だったので、いろいろと感じて、それを表現すると「いけません」とジャッジ・否定されて、だいぶ複雑になっていました。また、感受性が強いことがいけないことのようにも言われていたので、何重にも自分を否定していました。(そんな風に感じてはいけないし、そもそも、そんな風に感じる自分が悪いんだと。)

一人一人の感情を全部大切にしたい。自分の中から出てくる感情も、それが怒りでもなんでも大切にしたいって、再確認できた対話でした。息子〜ありがとう♪本当に母ちゃんは幸せだぁ〜。

息子のおかげで、どんどん心が満たされています。子どもって本当にスギョーイ。しかし、悪口を聞きまくって満たされるっていう、この構図も面白いわ。

余談ですが。
人を悪く言ってはいけないという呪文を自分にかけて、一生懸命に人のいいところを見つけて褒めている人の張り付いた笑顔にうんざり(笑)

自分の感情を尊重している上での、いいところ探しで褒めている人は、一緒にいて気持ちいいのですが。

自分の感情(特にマイナスな)に蓋をして、いいところ探しをしている人って、一緒にいると、私は窮屈(笑)やっぱり、自分を大切にしている(=自分の感情や気持ちを尊重している)人が、気持ちがいいなぁと改めて感じています♪

自分に正直が一番。誰もが自分として生まれてきたんだからね!

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