誰のせいにもしなくなった

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自分を生きるために必要な要素3つのうちの3つめ「誰のせいにもしなくなった」について言語化します。

ここ。誰もが驚くほど無意識なんですよねぇ(笑)

先日も、30代の女性が起業相談にやってきて「でも体が弱いから起業はできないんだ。」というので「弱くてもできる方法を模索しようよ」と提案したけれど、絶対に体が弱いせいにしたいらしい(笑)起業したいなら、方法はいくらでもあるし、したくないなら、しなくていいと私は思う。

けれども「起業して自立がしたい!本気です!」と相談にやってきて、本人も真剣そのものなのだけれど「体が弱いから無理」という話を延々する。

(似たような例で、他にも子どもがいるからとか、夫から反対されているからなどという人たちもいます。)

「したいの?したくないの?どっち?」と聞けば「したい」というが、多分、自信がないことや、不安が大きいことに向き合いたくないから、体のせいにしたいのだろう。ちなみに、その女性は毎日会社に行ける体ではあるのです(笑)

この女性は分かりやすい実例ですが、日常の中で「こうだから仕方がない」と思い込んでいることは、実はとても多い。

上の例は他人事だから「アァ、体のせいにしているよね」とわかるけれど自分ごとだと気づいていないことが多いので、よほど意識した方がいい。

ここに意識的になると、すごく主体的に生きられます。

例えば・・・

『上司が怖い人で、同僚ともうまくいっていなくて、でも生活のために仕事は辞められない。転職しようにも、ここよりもいいお給料のところには行けそうにないから我慢しなきゃ。』

こんな場合は、何重にも『せい』にしているんです。

上司が怖いのは、本当にその上司のせいなのか?その上司は誰にでも怖いのか?なぜ怖いのか?怖いと感じているのは、自分だけなのか?ちゃんと観察してみたら、上司が怖い人なのではなくて、自分にだけ強く感じる人なのかもしれない。原因がもしかしたら自分にあるかもしれない(責めるのとは違いますよ〜。原因があることを責めることと混同する人も多いので念のため)たとえ、原因が上司であっても、その現状を変える何か自分にできることはないのか?

そんな風に考えてみたら『上司が怖いから』という理由も、実は『相手のせいにしている無意識の考え方の癖』なんですよね。主体的ではないんです。

それと全く同じように『同僚とうまくいっていない』『生活のために仕事をしている』『もっといいお給料のところには転職できない』これらすべての事柄について、同じようなことがいえるのです。

なので、上の例は4重に何かのせいにしていて、全く主体的じゃないのですが、そのことに無意識なことが一番恐ろしいと私は思います。

ちなみに、かなり乱暴な言い方かもしれませんが・・・。
主語が「私は」以外の理由は、ほとんど、何かのせいにしていると思います!

・・・もちろん「(自分以外の主語が)こうだから、私はこうする」というような、ただ事実と捉えているような場合は除きますけれども。

「私はこう思う。」「私はこうしたい、だからこうする。」などは主体的だし、自分次第でどうにかしていける。

けれど主語が「上司が」「彼が」「仕事が」「体が」「誰々が」「状況が」などは、全部、自分から見える主観でしかないということに気づいたらいい。

自分のフィルターを通した「事実と見えること」が、事実だと思い込んでいる人は、非常に多いのです。気をつけないと、私も無意識でそうなっていることがある。

しかも、誰もが「自分に都合のいいように見る癖」を身につけている。

例えば、自分を悲劇のヒロイン(困難があっても健気に頑張る私)にするために、困難という状況が必要=相手を悪くする必要があるから、真実は別として自分からは悪者に見える、という図。

悲劇のヒロインになろうとしていることにも無意識だから、相手を悪くする必要があることにも、無意識。もう無意識の自作自演の連鎖が、現実だったりもするんですよね。面白いくらいに!

自分から見える状況証拠だけで、自分に都合よく、事実を作り上げている、その習慣を誰もが持っていることに、もう少し意識的になる必要があるのではないだろうか?

その一方で、誰がどうとか、現状がどうとか、そういうことには一切関係なく『自分はこうしたい、こう在りたい』ということに意識的だと、周りのことは関係ない。

『どうしたら、自分がしたいことにできるのか』という建設的な思考が生まれるだけ。せいにする理由がなくなってしまう。だって、自分がそうしたいだけなのだから。

だから、主体的に生きている人は、誰かの何かのせいにする必要もないし、その時間も勿体ない。逆に主体的に生きていない人は、自分を守るために、自分を正当化するために、誰かの何かのせいにする必要がある。

そこに意識的になることで、見えてくることは本当に多々ある。人の言動の中に、その人の主体性の割合も見えてくる。しかし、最初に挙げた30代の女性のように、外から見たら一目瞭然レベルであっても、本人は無意識な人は意外に多いのです。

『自分がどうしたい、どう在りたい。』それが明確で、主体的に生きていれば、必然的に誰の何のせいにもしなくなる。

そして、私は主体的に生きる人生が大好きです!そして、好みは人それぞれなので、依存的に生きたって、もちろんOK!

「私は人に依存して生きるのが合っているから、そうしている」って自分で選択して生きている人は、依存することを主体的に選択している。自分で選択していたら、その内容は何でもいいと私は思います。

私が、めんどくさいと感じるのは(笑)自分で選んでいるくせに、いつまでもグチや文句を言っている人。いや、好きで愚痴を言っているのだから、もちろん悪くはないけれど、一緒にいて、私はつまらないのです。

これは好みの問題で。。。。愚痴大会が大好きな人もいるので、それぞれの役割だなぁとしみじみ思います。

自分にあった人や環境を主体的に選んで、居心地よく生きられたら、内容はなんでもいいんですよね。いや本当に!

「私は、こういう考えが好き」とか「私はこういうのが居心地がいい」とか、そういう自分の『好み』を知って、その好みを『大切』にできたら、それが何よりなのです。

自分を生きるために必要な要素3つのうちの3つめ「誰のせいにもしなくなった」について言語化してみました。

ちなみに、今回の3部作『切り離して考えることができるようになった』『自分と仲良くなった』『誰のせいにもしなくなった』は、どれも連動しいているなぁと、書いてみて、しみじみと感じています。

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