切り離して考えることができるようになった

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自分を生きるために必要な要素3つのうちの1つ目。

「切り離して考えることができるようになった」について言語化します。

前に「だんご思考」というタイトルでも似たような内容の記事を書いた記憶があります。だんご思考(勝手に命名)は、日常で非常に多く見受けられる思考です。

例えば、全然返事をくれない彼に「もう私のことが嫌いになったのかしら?」と思ってしまうなどは典型です。「連絡をくれないこと」と「嫌いになる」ということは、一致している場合もあるかもしれないけれど、別物なんですよね。たまたま忙しいだけかもしれないし、他の事情があるかもしれない。「連絡をくれない」という事実と「気持ちや感情」を切り離して考えることは、とても大事なのです。

他によく私が挙げる例では「学校に行かないと将来困る」とか「困っている国もあるのだから残さずに食べなさい」などです。

「学校に行く」ことと「将来困るかどうか」は全く別物。それに困るという概念が広すぎて、全く特定困難という一面も。

「困っている国がある」という事実と「今、食べ物を残さないこと」の間にも関連性はありません。残した食料が即、困っている人に分けられるならいいのですが、本当は「お母さんは、残してほしくないと思っている」ということで、よその国を引き合いに出すのは違うと私は思う。

もちろん、恵みに対しての感謝の気持ちを持つということで、引き合いに出すのは少しは心情として理解はできるけれども。そもそも本当に子どもの体のことを考えたら、残した方がいい場合もあったりもする。(子どもが化学薬品に敏感な場合もあるし、その時の満腹感も日によって違うだろうし・・・)

要は、お母さんが食べて欲しいと思っている事実と、他の国の状況は一切関係がないということ。

他にも「普通、こんな時にはこう思うよね?」などと、自分がそうだからと言って「普通は・・・」と一緒くたにして、違う感覚を否定したり排除すること。いやいや「感じ方」「捉え方」は千差万別、人それぞれだからぁ。

と、いうように『だんご思考』というのは、生活の至る所にはびこっているわけです。そこに意識的になって『事実と感情』『自分の欲求とそれらしい例え話』『人と他人の違い』を切り離して考えられるようになることで、より、自分らしく生きられるようになります。

主体的に「自分はこう思っている!感じている!」という部分が明確になっていくからです。

だんご思考だと、全く事実ではないのに感情的になってしまったり、本当の自分の気持ちではない耳当たりのいい表面的な思考になってしまったり、排他的になってしまったりする可能性を秘めています。

今、自分がどうしたいのか?どうありたいのか?切り離して考えることで、シンプルに見えてくるんですよね。

自分を生きるために必要な要素3つのうちの1つ「切り離して考えることができるようになった」について言語化してみました。

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