不安からの決断は主体的ではない

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自分で決断しているように思えるけれど、その決断の元となる感情が「不安」の場合、私はそれが主体的な決断に思えないんです。

例えば、私は2012年にマレーシアで留学関連事業を展開をしました。ちょうど311の翌年で、多くの家族が「原発・地震のないマレーシアに子どもと暮らす」ことを検討していました。

その時に出会った、ご家族たちから「星さんは、同じ親として不安じゃないんですか?お子さんのことをどのように考えていますか?」と聞かれました。

私は「原発や地震を恐れてマレーシアに来ても、もしかしたらそこで交通事故に会うかもしれないし、危険って言い出したら、どこでも同じかなぁと・・・。本当に命の危険を感じたら逃げるという選択肢は、私も必ず取ると思いますが、ただ不安だからという理由では動きたくないですね。
それより直感で、ここに住みたい!とか。ここに行きたい!とか。そういうことで居る場所を選べば、たとえ何が起こっても悔いはないと思うので、私は不安からより自分の直感で動きたいですねぇ。」

と返した記憶があります。もちろん不安から留学を決める人も、直感で居る場所を決める人も、どちらも、本人が納得していたらいいと思います。どっちも正しい、素晴らしい選択です。

今日の、この記事は、どっちがいいかではなくて、主体的かどうかという意図で書いています。

他にも、
例えば、学校に子どもを行かせるということも「将来不安だから」という理由で『とにかく学校にはいかないと!』と思っている親御さんは意外に多いみたいです。

だから、私たちのように、学校に普通に通えるにもかかわらず、自ら選択して「不登校」というのは、言語道断で「将来困る!」の大合唱(笑)

いやぁ、学校に行っても行かなくても、どっちも将来、困る時は困るし、困らない時は困らない。

学校の勉強や卒業と、生きる力は全くの別物と思っています。どっちでもいいんです。その時々で、自分が選んでいたらいいと私は思う。私は、ですよ。いろいろな意見があっていいと思います。

「自分は、こんな経験がしたくて、こんな環境で、こんな風にしたいから、だから学校ではなく、通う場所を自分で選んだ。」というのと「将来が不安だから学校に行く」というのは、どちらが主体的に選んでいるのかな、と思う。

ちなみに、私自身が成績ほぼオール1(笑)体弱くて学校にあまり行けなかったり、施設に入ってたり。それでも、現在、会社経営して、友達もいて、思い通り幸せに生きています(笑)

また、他にも。
経済的不安で離婚に踏み出せない、という女性もいますが、私が離婚した時、養育費0、実家にも帰れない。不本意ながら一時期、生活保護いただいていました。それが嫌で、起業して今があります。

そんな自分の体験から、不安からの決断は「自分に嘘をついている」「自分に対して誠実じゃない」気がします。嫌だけれど、お金がないから離婚しないのなら。嫌じゃない努力をするか離れるかなど、自分に対して誠実になれる方法はたくさんあると思います。

けれど、嫌でたまらなくて愚痴ばっかり出るのに、お金がなくて不安だから離婚しないって、援助交際と何が違うのでしょうね?私には同じに思えます。自分にも相手にも誠実じゃない。

何より、その選択は主体的には思えないのです。

『不安から選択している』ということに『選択的』なら、それも主体的だと感じるけれど(笑)

ただ不安から選択している人は、自分で選んでいるように感じていても「不安だから、その不安な心を埋めるために、仕方ないと思いながら選んでいる」に過ぎないんですよね。そうするしかない的な。。。

だから、マレーシアを選んでいるわけではなくて、学校を選んでいるわけではなくて。不安を紛らわせているだけ。そこに意識的なら選択的と言えるけれど、無意識の人が、自分で選んでいると思っている人が多かれ少なかれいて。。。話をしていて、私はつまらない。(・・・って、話のオチがそこ?)

主体的でも能動的でも、どっちでもいいのですが(生き方は自由!)。

そして私が、話が合うのは。楽しく感じるのは。主体的な人。

愚痴ばかりとか、不安から発信が多い人とは、つまらなくて離れます。でも最近は、そういう方が周りにいないので、たまに会うと逆に新鮮で、ついつい話を聞いてしまったりも・・・(笑)

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