「安心安全な場」ということに違和感

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前回の記事に引き続き、違和感シリーズです♪先日、フリースクールを、これからオープンするという方とお話ししました。素敵な空間を作っていらっしゃいました。

うちの子はフリースクール歴9年。平日と、週末のフリースクールと、友達がやってるところなど、いろいろと関わっている。そして「行けない」ではなく「行かない」(「け」と「か」の違いは大きい!)選択不登校なので、周りもそういう子は多い。学校にもフリースクールにも友達がいて、通う場所を自分で選んでいる、というタイプ。

多種多様な価値観や、多種多様な子どもたち、大人たちの関わりがあり、それぞれに素敵なコミュニティが形成されている。

なので、これからスタートするフリースクールだったら、私たちの経験などが、何かしら参考になることもあるのかもと思い、お話を伺いました。

その方は「この場所は、決して自分を否定されない安心安全な場です!」とおっしゃっていて、周りの人たちも、その部分に感動・共感しているように見えました。

私は「安心安全な場」をどんな意味で使っているのかが知りたくて、いろいろと質問したり、掘り下げたりしました。

その方は「ここは、絶対に否定されない。傷つける人はいない。誰もが安心して居られる場所です。」とおっしゃるので「では、傷つける可能性のある人は来させないようにするのですか?」と聞くと「誰が来てもいい」という。

また、見学に来られた方から『「ここでいじめが起こったらどうするのですか?」と聞かれたので「とことん向き合います!」と答えた。』とおっしゃるので「とことん向き合うとは、どういうことを言っているのですか?例えば、どんな風に?」と聞いても「とことん向き合います」を繰り返すばかり。

そこで、私は自分自身の体験談として。

『相手が発した、自分にとっての深い真実に、ものすごく傷つき、大泣きしたことがあるが、結果的に、その経験によって、自分にとっての深い真実に気付くことができた。相手に傷つける意図はなかったが、私はとても傷ついた。しかし、それによって深い気づきがあったので、その出来事に感謝しているし、傷つかないと気づけないこともあると思う。故意に傷つけ合うのは悲しいが、お互いに、傷つけたり、傷ついたりして、磨かれていくのが人間ではないか?』という話や。

『人間関係の中で、いろいろなことが起こることこそが学びではないのか?』など話しましたが、綺麗にスルーされました(笑)「ここは草原のような温泉のような場なんです!」と・・・。

私の体験や考えが正しいわけではなく、その方にとっては、どういう意味合いで言っているのかを知りたくての質問だったり、体験談だったりしたのですが、耳当たりのいい、表面的な言葉(安心安全とか、向き合うなど)ばかりで、何も深められなかったことが、モヤモヤポイントでした。

また他にも「子どもがやりたいことを、とことんサポートする!」というので、ではサポートとは、どういうことですか?と聞くと埒があかない。掘り下げられていないんです。

でも、素敵な場があって、耳当たりのいい言葉があれば、大衆は「すごーい」って尊敬する。その言葉をどういう意味で使っているのか、わからないまま、確認しないまま、なんで尊敬できるのかなって、大衆の方にも違和感を覚えるのです。

そもそも。
「ありのまま在れる場所」と「安心安全な場所」は、別物です!そりゃそうだ(笑)

それぞれに心に傷を抱えていて、それぞれの背景を持っている。そういう人たちが、安心して自分を表現し合い、そこで起こる事に向き合っていける場だからこそ、磨きあえる。成長しあえる。それは、決して安心安全の上に成り立つわけではない。

本当に大事なのは、それぞれが本当の自分を表現出来ることではないか?その結果、起こることこそ、その場で起こるコミュニケーションこそ、お互いの学びの場になると私は感じている。そして、その例え(ケーススタディ)なら、いくらでも語れる!(それは、結果的に相手を傷つける言動をしてしまってもOK!と言う場とも言える。)

それを「安心安全な場」という事ありきだと、それこそ、表面的な場になると、私は思うんですよね。それに傷つける言葉を発する人はルール違反した人となってしまう。排除される。

場を提供する側が、そこにいる人を本当の意味で信頼してこそ、成り立つ場だと思うので、安心安全をうたっている時点で信頼度が低い気も、私はする。

きっと、この私の感覚じゃない、何か別の観点があるのかなと思っての質問だったのですが、何も聞けず残念でした。

この場所は、老若男女、誰が来てもいい、という。それで安心安全な場だ、という。草原のような、温泉のような場だという。。。

そんな言葉を聞くと、質問したくなることいっぱい出てくる。けれど、一切質問せずに「素晴らしい!」ってなる、大衆に一番、違和感を覚えるのでした(笑)

例えばですが、この場所が、
『本当に傷ついて誰も信じられないような人が、心を癒すための場所』だから、安心安全な場をうたうのであれば理由もわかる。けれども、老若男女、誰が来てもいいという場で、それってどういう意味?この時点で、人間に、個々に、すでに向き合ってないのに、いじめがあってから、何をどう向き合うの?疑問がいっぱい〜!

なので、今後、私は関わりません♪本質ぽい言葉を使う割に、全く本質的じゃないんだも〜ん(笑)表面的で、私は居心地が悪い。

友達が、ぜひ私に繋げたいって言うので、お話伺い、理解したくて質問したり、考えを投げかけたりしたけれど、残念ながら、対話にもならず私にはわかりませんでした。

人間が集まる場において(身体的にではなく、心という意味あいで)の安心安全な場をうたうより、一人一人が、安心して「あるがまま」で居られる場の方が、本質的と、体験から私は感じています。いじめ一つにとっても、人間がやることには、必ず理由があります。一人一人の感情に理由があります。

安心安全をうたう前に、否定してはいけないと規制する前に。

それぞれが、ありのままの自分であり、それを自由に表現出来る場であることが大切で、それは、決して安全な場だとは限らない。

時には、傷つけ、傷つき合う。時には修羅場になる。でも、それが本当に自分自身であれば。お互いに、必ず理由がなるのだと、本質を信頼して、関わり合いの中で、そのことこそが、お互いに気づきになる。お互いに学びになる。人間って、すごく面白い!って心から思う。

もちろん、人間不信の人のためなど、理由が明確などの場合は、それに限りませんが。老若男女、誰が来てもいい場で、安心安全って、無理があるし、面白くないと心から思うのです。ドラマが起きない。学びも少ない。魅力を感じな〜い。

違和感、言葉にできてスッキリ(笑)

多くの共感者の中で、たった一人違和感を覚えていると、その場での言語化が難しかったり、あとでモヤモヤすることもあるけれど、こうして言語化できたら気持ちがいい。

たとえ、周りの1000人と、自分の感覚が違っても、自分の感覚を大事にできたら幸せです。周りのそれぞれ1000人も、私も、全部が正しい!だから、これからも恐れずに自分の感覚を大切に生きようって再確認なのでした!人との出会いが有難いです。感謝〜♪

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