「否定しない」というルールに違和感

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あるビジネスプレゼン大会の本番までに、何度かの集まりがありました。そこでプレゼンなどをブラッシュアップしましょう、という主旨でした。

その本番までの何度かの集まりには、ルールがあり、その中の一つに『絶対に否定しないこと』というのがありました。このルールは、この会に限らず、他でも何度か、見かけたことがあります。

「せっかくの想いが、人からの否定でしぼんでしまったり、傷ついてしまって、言えなくなるので、決して否定をせずに、前向きな言葉を発しましょう。安心して想いを言える場をみんなで作りましょう。」

このルールを掲げると、大抵の人が、すごく納得しているように見えます。けれど、私は違和感を覚えるので、理由を書いてみます(笑)3つあります!

1.
ルールで否定しないことを決められてしまっていては、いいこと・前向きなことを、いくら言われても(聞いていて、気持ちいいだろうけれど)、信頼できません。きちんと反対意見や、自分とは別の観点を指摘してほしい。

「私はそれは違うと思う。こう言う理由だから。」など、その人の観点をしっかりと伝えてくれる中での、前向きな発言や共感などの言葉は、ものすごく信頼できます。

なぜなら、本音をしっかり伝えてくれていると感じることができるから。否定しちゃいけないってルールありきだと「本当は違うって思っていても、言わずに、いいことだけ言ってるんじゃないの?」って思えてしまうから。

また、その反対意見から触発されて、とても素晴らしいアイデアが出たり、発展したり、死角が減ったり、などと、反対意見は、いいことづくし!なのです。それを禁止する意味がわかりません。

ルールを作るなら、
「どんな意見も否定と受け取らず、大事な意見の一つと捉えましょう!」というルールの方が、私には、しっくりきます。

ディスカッションから生まれる創造は、とても楽しいものです。否定しない、ということにフォーカスしてしまうことで、とても表面的な話になるのを、何度も目撃しています。変に褒めあって、表層的な前向きさで、私にとっては気持ち悪い空間です(笑)

2.
否定しないということにフォーカスすると反対意見が出しづらくなります。せっかく素晴らしい観点が机の上に乗らずに、とても浅い時間になってしまう可能性があります。それは、同じ時間を使う上で、非常にもったいなく感じます。

そもそも、否定するつもりなんて毛頭なく、自分が感じた意見を言いたいだけなのに、否定しないというルールの中では、反対意見と否定が混同される場合が多いんです。

3.
言う方が、言いたいことだけ言って、なんの進展にも寄与しない場面を何度も目撃しました。

プレゼンをブラッシュアップしたいと考えている人が主役であり、その人にとってのブラッシュアップが目的なのに、そのために意見を伝える人が、前向きなプラスの意見ではあるけれど、ただ、その人が言いたいことを伝えるだけの時間となってしまっています。

そして、主役の人が混乱していくのです。「それは素晴らしいと思いました。さらにこうしたらいいと思います!」「それは素敵ですね。私ならこうします。」などなど。

その場で「これをする目的はなんですか?」「どうしてそう思ったのですか?」「この背景を教えてください」など、その主役の人を理解するための質問をする人は、私以外には誰もいませんでした。

相手を理解しようとせず、それぞれが好き勝手な意見(前向きではあるけれど)を言えば、当然、混乱します。

逆に、相手を理解しようと思っての質問によって、主役の人が改めて気づいたり方向性を確かめたりなどの、いい時間になったりもしました。否定せずに前向きな発信をするよりも、主役を理解しようとしただけの方が、ずっと建設的な時間だと実感しました。

という、3つの理由で「否定しないこと」というルールは百害あって一利なし!ぐらいに、私は思うのですが、この3つの理由を伝えると・・・

「誰も、星さんみたいに強い人ばかりではない。否定されて傷つく人もいるんだよ」と言われました。

傷つくことで気づくこともあり、傷つくからこそ、本当の自分のニーズに気づけたりもします。

人の言葉に対して被害者意識を持つことが問題であって、それこそ、前向きに捉えたらいいだけのこと。それに、反対意見は、あくまでも意見の一つであって、相手を否定しようと思って発しているわけではない。そこを共通理解することの方が「言ってはいけない」とやるよりも、ずっと建設的だと・・・私は思うの(笑)

そういう意図なのに、なぜ「星さんが強い」とか「みんなは弱い」などと、違う話にすり替わるのかも、わからないのです。

いや、私だって弱さも強さも両面ある、同じ人間だよ。強い弱いってことじゃなくて、その時間を有意義にしたいかどうかなんだけれどなぁ。。。

さらに、悪意のある否定であっても、悪意のない否定であっても。たくさん否定されて、自分が揺るがないことで、やっと、自分の本気度が自分で測れるという側面もある。少し否定されたくらいで、揺るぐなら、それほど本気じゃないことが分かって、いいんじゃない?というバロメーターにもなる。(こういう事言うから強いって言われるのかな?)

耳当たりのいいことばかり言われても、自分の本気度はわからない、と思う。

だから、私は、それぞれが感じるまま、本音を伝えることが一番、創造につながり豊かな時間になるのだと、しみじみ感じているのです。

でも、多いんですよね。このルール。そして、それを納得して喜ぶ人も多いんです。

そうして「否定してはいけません」というルールの枠の中で、私の感覚は『全否定』されるのでした(爆)

でもね。
近づかなければ問題はないわけです。人それぞれ好みの問題で、それが好きな人が集まればいいだけのこと。私が、自分とは合わない場所に足を踏み入れてしまっただけ!

近づかなければ、ちゃんとしっかり気づいたこと、本音を伝えてくれる仲間に出会えて、幸せなのです。だから問題はナッシング!

自分とは、ただ合わないだけ、という池の中で、こんな違和感を覚えましたーという記事なのでしたぁ♪

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