愛を知らないだけ

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愛を知っている幸せな人が、ただ知らないだけという人を悪者扱いしたり否定する。それで何が変わるのだろう?

例えば、幼児虐待する親を「こんなひどい親、許せないっ!」と否定する人が多いけれど、その親は、自分の親からもっとひどい虐待を受けていたかもしれない。

すると「自分がされたからって、同じことしちゃいけない」「自分がされたから子どもにはしないというのが普通でしょ」などと言う。

それしか、やり方を知らないとしても、そう言えるのだろうか?と私は思う。別の選択肢を「知っている」から言える言葉ではないでしょうか?

愛を知っているのなら。。。
知らない人を否定批判するのではなくて、ただ愛で接することから伝えたらいいと思う。

何で、そんな風に思うかというと。いろいろな体験からなんですが。その中の、ちょっとわかりやすい、軽〜い自分の体験談があります。

私が社会に出てすぐ、保育士をしている時。外遊びで足がドロドロになったので、私は、ヒョイっと台所の流しで足を洗ったんですね。

いや、今考えると、周りの人はさぞかし驚いたことでしょうね!でも、その頃は「ただ知らないだけ」だったんです(笑)

私の家にはお風呂がありませんでしたし、洗面所などもありませんでした。洗う場所が「流し」しかなかったので、歯を磨くのも髪の毛を洗うのも、もちろん足を洗うのも「流し」だったのです。

ただ、知らないだけだから「ここで足を洗わないでくださいね。外の水道で洗ってくださいね」と言ってくれれば、一瞬で理解できるのに、その時に私は、人格否定までされ、親のことまで批判されました。

「食べ物を扱う場所で足を洗うなんて、どういう神経してるんですか!アァ、今の若い人は信じられないっ!常識ってものがまるでない!親はどんな風に育てたんだか。恐ろしい!」って。

今なら言いたくなる気持ちも理解できますけれど、その時は傷つきました(笑)

流しで足を洗うだけで、ここまで言われる社会なので、幼児虐待なんて言ったらあーた!そりゃぁ否定されるでしょうね。

でも、私がその頃、本当に本当に、ただ「知らなかっただけ」なのと同じように。

生まれて物心ついた時から虐待されていたら、それ以外にどう分かれっていうのでしょうか?

私が、何の疑いもなく、ただヒョイと流しに足を上げたように。それしか知らなければ、その習慣のまま・・・。

私は、その時、ただ普通に教えて欲しかったです。それで親のことまで言われたくなかったです。それにその時に、ただ普通に伝えてくれたら、誰かが間違えた時に普通に伝えればいいということも学べたのです。

あ、でも、もしかしたら、その否定した人だって、誰かが間違えた時に「感情的に否定批判する」ということしか知らないのかもしれません。

ほら『ただ知らないだけ』ということが循環しているだけで、何が悪い、誰が悪いってことじゃないんですよ。

気づいた人が。知っている人が。
態度で言葉で、伝えていけばいい。どんな小さいこと(流しのこと)から虐待などの悲しいことまで、本質は同じではないでしょうか?

だから、虐待が悲しいことだと、もし知っているのなら。

その虐待している親を否定批判するのではなく、愛情で抱きしめたり、大丈夫だよと声をかけたりなど、知っている限りの愛情をかけること。また「手を挙げるよりもこうした方が気持ちいいよ」など、具体的に根気よく伝えていくこと。そんなことの方がずっと建設的な気がします。

些細なことでも、大きなことでも。
批判や否定は何も生まない。ただ愛を知っている人が愛の態度と言葉でコミュニケーションをとることで、いいふうに変化していける。そう私は思います。

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